報道は誰のためなのか。

ニューカレドニアから、こんばんは。

 

 

 

ようやくしっかりとした青空が戻ってきました。

しばらく雨の心配はしなくてよさそうです。

多分ですが(笑。

 

 

雨は必要不可欠なものですが、雨が続くと気が滅入りますね。。。

 

庭はぐちゃぐちゃですが、きっと明日のうちに乾くでしょう。

 

 

 

 

 

うちではほとんど、夕食時に日本のニュースを見ています。

息子に、もう少し日本語に触れ合う機会を作ろう。と思っているからです。

私との会話だけでは限度がありますから。

 

 

 

でも。

日本のニュースは、人が死んだ事件を取り上げることが本当に多いですよね。

 

 

息子も、普段私との会話の中ではまず出てこない言葉、「死亡」とか「殺人」とかを覚えたようです。

いいのか悪いのか。

何度も出てきますから、仕方ありません。

 

 

昨今は特に、人が死んだと言う事件か、横領事件か。って感じです。

 

昨日見たニュースには、両親が4歳の娘に毒を飲ませて殺したと言う事件がありました。

我が娘を手にかけるとは。

 

しかも毒を使って時間をかけて。ってその時間に何も考えなかったのでしょうか。

理解できません。

 

 

 

もっと楽しい話題がないものか。と思いますが。

楽しい話題ばかりだと、ニュース番組でこんな緊張感がないとは。と文句が出るそうですね。

 

 

 

ちなみに、ここニューカレドニアのテレビニュースは、19時半から約20分程度。

それが次の日のお昼に再放送されます。

それだけです。

 

いくらこの小さな島のニュースとはいえ、少ないです。

 

起きている全てのことを取り上げる必要はないと言う、視聴者に届く前に作り手が選んでしまうのです。

日本のニュースが視聴率を気にして話題を選ぶのとは少し違います。

 

 

 

知らないといけないこともあるけど。

知らない方がいいこともある。

 

でもそれを決めるのは誰なのか。

 

 

 

 

報道のあり方を考えさせられます。