ヌメアの設立記念日です。

ニューカレドニアから、こんばんは。

 

今日は暖かい一日でしたが、だんだん雲も多くなり小雨も降ったりで、曖昧な天気でした。

 



 

今朝、スーパーに立ち寄った際。

これを見て。

衝動的に購入してしまいました!

 

黄色のクッションです。

 

 

最近、椅子に座るとお尻が痛くなって。

木の椅子だから仕方なかったのでしょうが、長く座ることができなくて。。。

 

それで平らのクッションを探していたのです。

 

そして今日。

一目惚れ(笑。

私は赤が一番好きですが、その次は黄色。

 

ちょっとハッピーです。

ふふふ。

 

 

 

 

さて、今日は6月25日。

 

ニューカレドニアの首都に当たる、ヌメア市の記念日です。

1854年の6月25日にヌメア市が正式に設立されました。

今日は、169年目の記念日なのです。

 

 

ニューカレドニアは1853年9月24日にフランス領になりました。

1854年6月25日に現在のヌメアのあたりを首都にすることに決められたのです。

そして、1857年にポートドフランスと名付けられたこの街には、当時900人が住んでいました。

でも、同じフランス領のマルティニーク島のフォードフランスと似ていて、紛らわしいということで、名前をヌメアに変更したのが、1866年です。

ヌウという島を意味する言葉と、魚の群れを意味するメアとが合わさって、ヌメア。

魚がたくさん取れる島。そんな意味になるでしょうか。

 

 

1859年には最初の小学校が開校になります。

 

初めは、フランスからの流刑地としてここニューカレドニアは使われました。

1864年から1897年までの間、21000人もの囚人が流されたと聞きます。

 

1875年あたりから、街造りが始まっていきます。

丘を崩して道路を造ったり。

セントジョセフ大聖堂もこの時期です。

 

1942年から1945年にかけて、アメリカ軍がここニューカレドニアに降り立ちました。

軍事基地としてです。

 

急激にインフラが整備され始めます。

国際線空港と国内線空港。

映画館やダンスホール

売春宿も。

アメリカの文化が生活の一部になっていくのです。

 

 

でも戦争が終わると、アメリカ軍は撤収していきます。

その後はフランスの植民地として、ここニューカレドニアは生きることになります。

 

 

 

 

 

1857年に900人ほどの人口だったヌメアには、今、約10万人もの人たちが住んでいます。

ニューカレドニア全体で約26万人と言われているので、3分の1以上の人たちがヌメアに集中しているということになります。

 

 

 

 

今夜行われるはずだったランタンのイベントは、悪天候が予想されたということで、明日の夜に振り替えられるそうです。

 

来年は170年目になります。

きっと大きなイベントが企画されることでしょうね。