ニューカレドニアから、こんばんは。
今日は朝からはっきりしない天気でした。
雨が降りそうだけど、、、という感じの天気。
お昼過ぎにぱらっと降った程度でした。
明日は回復するはずなのですが。
どうでしょう。
でも、夕方になってもあまり変わりませんね。
今日は、父の誕生日でした。
昭和10年生まれ。
生きていたら、、87歳。
7人兄弟姉妹。
上の2人のお兄さんは確か海での事故で亡くなったとか。
全ての父の兄弟姉妹の顔を、私は覚えていません。
卓球のラケットを作る工場でアルバイトをしていた高校生の頃。
ラケットの形を電子の糸鋸を使いながらいくつも作っていた時に。
よそ見をしてしまっていたのでしょうね。
父の中指は付け根から飛んでいってしまったのです。
それがどっちの手だったのかも、、はっきり覚えていない。
薄情者の娘です。
それだけ気にしていなかったことになるのでしょうけども。
その後父は、下関から大学進学のために、東京へ。
そのまま、卒業、結婚と東京で過ごすことになるのです。
一般企業に就職も、独立。
そして離婚。
私が5歳、姉が8歳の時でした。
母が私たち姉妹を引き取ると譲らなかったのに、裁判をしてまで親権にこだわりました。
父なりのプライドと私たちに対しての贖罪だったのでしょう。
そして私が8歳の頃。
再婚。
新しい母ができたと嬉しかったあの頃。
これでいじめられなくなると嬉しかったあの頃。
9歳になった冬に妹が生まれます。
姉と私が実家を出て、妹も結婚した次の年に。
父は再度離婚をします。
そして一人暮らしになって。
70歳を超えての一人暮らしはきつかったでしょう。
それから3年弱。
私が誕生日おめでとうの電話をしてから、1ヶ月もたたない日の朝。
父が遺体で見つかった。という連絡が入るのです。
10日くらいは経っていたそう。
だから、命日はわかりません。
独りで逝かせてしまった後悔。
誕生日に電話したとき、弱々しいことを言っていたのに、何もできなかった後悔。
3人も娘がいたのに。
看取れずに。
死因は事件性もなく老衰と診断されました。
73歳で老衰って。
きちんと食べていなかったからでしょうか。
警察が踏み込んだ時には、炊飯器の電源がついたままだったそうです。
3姉妹の中で一番心の距離が近かった私が、もう少しそばにいてあげたらよかったのに。
少しは悲しみを和らげてあげることができなかったのか。
この後悔と自問は自分が死ぬまで続くでしょう。
だから。
私が死ぬ時には。
きっと独りなんだろう。と思うのです。