離婚のしわ寄せ

ニューカレドニアから、こんばんは。

今日も良い天気でしたが、風が強い!

外は暖かくて、日向は暑いくらいなのに、家の中に入ると途端に涼しいです。

 

 

近くのホームセンターに行ったら。

 

既にハロウインの飾り付けや被り物などが売られていました!

 

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ハロウィンは10月31日。まだ早いよ。

 

だんだん、ハロウィンも日本でイベントとして認知されているようですね。

息子はキリスト教の学校に通っていますが、ハロウィンの意味も知らないだろうな。

 

キャンディもらえる?

仮装してピンポン?

 

そんなところでしょう(汗。。

 

 

 

 

今日は私自身の体験、親の離婚談(笑。

 

昨日の続きです。

 

 

 

やはり父親一人で娘二人はかなりキツかったでしょう。

時に、父の故郷の下関から叔母が手伝いに来てくれたりもありましたが、近所は特に。

男親一人ですから、余計に近寄り難くなってしまったのだと思います。

 

 

幼稚園の最後の遠足で、お弁当が必要になった時。

父がどうにかこうにか作ってくれました。

作ったというより、ただ詰めた。というだけでしたが。

 

でも、その中に、エビフライの尻尾(だけ)が入っていたのですよね。。。

幼稚園のクラスメイトにも、お弁当にエビフライが入っていたの?

豪華だね!と言われたけど、、、

尻尾だけですよ。尻尾。

 

これは前日、夕食に出たエビフライ(どこかで買ってきたものでしょう)が出た時、私は身を食べて、尻尾を食べなかったんです。

父に、残さず食べなさいと言われたけど、尻尾は、、、

食べなかったのです。

それを入れられた、、というわけです。

半分嫌がらせですね(笑。

 

そのお弁当箱も、新聞紙で包まれていて、、

幼稚園児のお弁当ではないですよね!

恥ずかしかったな。

中身も見られるのが嫌でした。

 

 

 

そして、父は婚活をはじめます。

私が7歳。姉は10歳。

40歳近くて、バツイチ。しかも、2人の娘がいる。

 

マイナスだらけです。

 

何人か、いい人がいると父から言われて、うちで一緒に食事をしたりもしましたが。。

でしょうね。

断られてました。

 

 

でも、今度はどうだろう。と連れてきた女性は、背も高く、学校の先生もしていたという人。

 

その女性もバツイチということで、きっと、バーが下がっていたのでしょうね。

 

 

父はその女性と結婚することになりました。

 

 

結婚式もキレイでした。

私も、新しいお母さん。ということで嬉しかったのを覚えています。

 

これで、仲間外れにされないだろうという気持ちも。

美味しい料理が食べられるという期待。

 

早速甘えさせてもらったのも覚えています。

 

 

 

でも、結局は仲間外れ。

今度は、お母さんが違うんでしょう。

だからあなたとは遊べない。

 

なんだ、結局はダメなんじゃない。

 

 

 

そして、私が9歳の時、妹が生まれるわけです。

 

 

新しい母は、家事が苦手な人でした。

洗濯も、タオルと下着は洗濯機。

それ以外はドライクリーニング。

 

Tシャツもドライクリーニング行きです。

 

妹が生まれて、布オムツを使うようになってからは、小さなものも、ドライクリーニング行きでした。

だからか、洋服が回らない。

4、5日同じ洋服で、クラスメイトに馬鹿にされていじめられました。

小学生で同じ洋服を続けてきてたら。

ちょっと危ないですよね。

衛生的にも。

 

同じ服=汚い。

まあそんなイメージですよね。

 

いじめる気持ちももちろんわかります。

 

殻から飛び出せず、うじうじしていた私。

いるのかいないのかもわからない。

そんな影の薄い子供でした。

格好のいじめのマトです。 

 

 

 

継母は料理も苦手そうでした。

 

あまり好きではなかったのでしょう。

結局は姉や私が作ることに。

惣菜にもかなり助けてもらいました。

 

その辺は再婚後もあまり変わらなかったかな。

 

 

決定的になったのは、確か、父の誕生日。

その日は父の好きな天ぷらを継母が作ろうと準備をしていた時。

 

妹はこたつで本を読んでいた。

小さな妹は小さな椅子に座って、炬燵のヒーターのカバーを無意識に蹴っていたところ。。。

カバーが外れて、足がヒーターに当たって、、

大きな火傷を負ってしまったのです。

 

 

そこから、さらに料理もしなくなった継母。

ずっと妹を見ていないと危なくて怖いから。と。

言い訳言い訳。

 

 

 

貧血気味だからと、朝も学校に行く時間でさえも継母は起きてこない。

妹を産んでから余計に。

 

日曜の朝はリビングを掃除機かけることになっているのに、9時半より前にかけ始めると、まだ寝てたのに、うるさいと怒られたり。

  

 

学校から寄り道も許されず。

帰ってきたら遊びにも出られない。

バイトをしたら、半分以上家に入れる。

 

もちろん、家事もしないといけない。

 

 

なんの時だったか。

継母に怒られた時。

 

あんたなんて、娘じゃないの。

私の娘じゃないの。

私はあんたのお父さんと結婚したけど、あんたとは養子縁組をしていないから。

一緒に住んでいるだけ。

 

 

 

わかっていたけど、かなりショックでした。

やはり出来の悪い私は、、仕方ないかなと。

 

時期がきたら、独り暮らしをしようとその時決心したのです。 

 

 

 

 

20歳で独り暮らしをしてからは、とっても快適でした。

仕事で遅くなっても気を使わなくて済むし。

自分のペースで家事もできるし、料理なんか一人分でいいし。

バイト代を取られることもないし。

 

 

そのまま就職。

独り暮らしは貧乏だったけど、充実してました。

 

 

そして、少し経った頃。

 

 

姉から。

実母が名乗り出てきたよ!

急に電話がきたの。

 

 

 

文章を書くのが好きな姉が新聞に詩を投稿したら、実母が見ていたそうで。

はやる気持ちを抑えて、連絡してきたそう。

 

私たちのことは、父と母の仲人さんから逐一聞いていたようで。

電話番号も。

 

 

 

 

でも。

わからないのです。

どう接したらいいのか。

 

 

その時、私24歳。

母と別れたのが5歳。

20年近く離れていたのです。

実感が湧かないというか。

いやいや、距離感がわからないというのが正直な気持ちでした。

 

 

ほとんどの母の写真を捨ててしまったけど(父に捨てるように言われたから)、顔は覚えてました。

母と私たち3人並ぶと、しっかり母娘という感じ。

 

 

 

長すぎた空白の時間を埋めるのは、そう簡単ではないのです。

別に、私は母を恨んでもいなかった。

でもね。違うのです。

 

 

 

 

苦労させたね。と母は。

でも、それが今につながっているから、一概にそう言えませんね。

良いか悪いかは別。

 

 

もちろん、他の道があったなと思うこともあります。

それはどんな形になっていたかもわかりませんが。

 

 

 

 

実母は、息子が生まれてから、ここに2度遊びに来て、それはそれで楽しかったけど。

 

 

今は、よくわからない関係になっています。。

微妙。

 

多分、うちら家族が帰国した時、母の住む家に遊びに行ったのがよくなかったんだと思うのです。

 

 

やはりね。

問題は距離感なのです。

 

 

お互い、距離感の取り方がわかっていない。

私たち母娘は。

不器用なのでしょうね。

本当に不器用なんだと思います。

 

 

もちろん、母の旦那さんもいました。

私は何度も会っていたけれど、息子と主人を会わせたのは初めて。

 

母は、異様に、私たちを前に、その旦那さんに気を使っていた。

それが見ていられなかったのです。

 

 

 

 

 

離婚をするのは仕方ない。

喧嘩ばかりしている両親だったら、離れた方がいいはず。

 

でも、子供たちのこともケアしてあげて。

しわ寄せが来るのは弱者である、子供たちなのだから。

 

 

 

逃げ場を作ってあげて欲しいのです。

帰る場所があるということを。

待っている誰かがいるということを。