辛い記憶には蓋をして。

ニューカレドニアから、こんばんは。

 

今日も雨が降ったり止んだり。

どんより曇り空。

結局青空も見えませんでした。

低気圧が列をなして、ニューカレドニアの上空を通るそうです。

週末に大きな低気圧が去ったけど、次から次へと控えているようで、まだまだ回復しそうもありません。

 

 

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それでも薄い夕焼けが見えてました。

明日は少しでも回復して欲しいですね。

 

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明日はどうなるだろうな。。

 

 

 

 

ようやく学校が始まりました。

去年はロックダウンの後、2週間ほどの移行期間を得て、通常に戻りましたが、今年はロックダウン明けから1週間で通常に戻りました。

その1週間も学校の休みの期間。

 

スーパーの入り口に大きく、マスクを着用ください!と書かれてあった紙もすでに撤去されています。

床のソーシャルディタンスのテープも、消えていました。

マスクをしている人もすでにいません。 

早いですね。

 

 

 

 

 

さて、今日は私の子供の頃の記憶の話です。

 

 

両親が離婚したのは、私が5歳の時。

 

その前から大きい喧嘩を繰り返していました。

離婚するくらいですから、喧嘩も当たり前と言えばそうですね。

いや、喧嘩というか、、

父は機嫌が悪いと母に暴力をふるって。

怒鳴り散らしたり。

叩いたり蹴ったり。

いつも一方的なものだった気がします。

 

最終的に、母は浮気をしたわけですから、父の怒りもわからないでもありません。

 

 

その度に、どうしていいかわからず、押し入れに逃げ隠れたり、その時のお気に入りのカーディガンの大きなボタンを舐めていた記憶があります。

気持ちを落ち着かせていたのでしょう。

そのカーディガンは母が編んでくれたものでした。

 

子供の前で父親が母親に暴力をふるうものではないですよね。

やはり。 

 

 

そのカーディガンはいわゆる母の形見でした。

ストレスを感じると、その大きなボタンを口に入れてました。  

精一杯の母への甘えだったのかもしれませんね。

 

幸い、私たち姉妹にまで父は暴力を振るうことはありませんでした。

 

 

 

 

 

10年ほど前に母がここに遊びにきた時。

そのカーディガンを持ってきたのです。

 

あなたに返すわ。って。

 

 

その時。

子供の頃の記憶が飛び出してきたんです。

 

暴力を振るっている父から逃げるように押し入れに入って震えていたこと。

寂しくて怖くてそのカーディガンの大きなボタンを舐めながら押し入れの中で寝てしまったこと。

夜、寝ている間にものすごい音で父が部屋のドアを開けたこと。

いつか暴力によって、母が死んでしまうのではないかと思ったこと。

母がいなくなって、学校で虐められるようになったこと。

 

断片的ですけどね。

 

 

 

離婚してからしばらくは手元にあったはずなので、母が都内に住んでいた時期に遊びに行って、忘れてきたのでしょう。

 

 

でも。

どうして、持ってきたのかがわからないのです。

その手編みの黄色のカーディガン。

 

息子にって思ったのか。

私が懐かしんで喜ぶと思ったのか。

 

 

息子はすでに着れなかったし、いい思い出もないし。と母が日本に戻ってしばらくしてから捨てました(笑。

捨てるのに、罪悪感がありました。

毛糸を解いて違うものを作り直すかなとも考えました。

 

 

でも、前に進めない。

見て思い出すのは、父親の暴力、母親の声と嫌なことですからね。

 

 

父も死んで、私も日本から離れたところに住んでいる。

縛られることはないのではないかと思って。

  

 

 

小さい頃は、嫌なことがあった時、本能的に脳の中に仕舞い込んでしまうようです。

きっかけがあれば、あふれてくる。

侮れませんね。

 

 

 

でも、蓋をしたから、解決するわけでもないのです。

そんな記憶はもともとないほうがいいから。

 

 

息子には蓋をしないといけないような嫌な記憶を持って欲しくないですね。