75年前に。

ニューカレドニアから、こんばんは。

 

今日は穏やかな1日でした。

 

フランスでは祝日の今日。

カトリックの大事な祝日のうちの1つです。

 

聖母マリアの被昇天祭。

 

 

日本は終戦記念日

8月15日。

 

もちろん、ここニューカレドニアでも、色々と戦争の傷跡があります。

 

 

成田から、関空から。

ニューカレドニアに降り立つのは、トントゥータ国際空港です。

 

ここは第二次世界大戦時に、アメリカ軍が整備して作った空港。

 

 

また、イルデパンやウベア島にいかれる際に利用するのが、マジェンタ国内線空港。

 

ここも、アメリカ軍が作った空港なのです。

 

 

 

ニューカレドニアの戦争での転機はパールハーバーです。

真珠湾攻撃

 

この時から、日本人は、敵とみなされて、連合軍に強制的に収容されたのです。

 

 

ヌメア市内には、第二次世界大戦博物館があります。

 

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市内観光でも組み込まれることがない博物館。

 

ニューカレドニアが、どのように戦争に巻き込まれていったのか。

 

ここで地上戦は行われませんでしたが、基地として使われたのです。

 

 

 

小さいながら、日本のブースもありました。

 

日本の軍服や戦車の小さな模型。

お茶碗や湯呑みなども展示されています。

 

 

歴史好きな私としては、とても興味深い博物館です。

 

 

 

終戦してから75年です。

 

 

 

 

なぜか、うちの父は、戦争写真集をいくつも持っていました。

それは小さなものではなく、A3サイズの大きなものでした。

 

 

栄養失調でお腹が膨れた子供の写真。

 

ガリガリの子供をおんぶしたお母さんの写真。

 

笑っている兵士の写真。

 

肩を寄せ合っての家族団欒。

 

防空壕へのトンネルの写真。

 

 

 

 

当時、小学校の低学年だった私からしたら、かなりインパクトがあった写真集でした。

 

その時は、どうして父があんな写真集をいくつも持っていたのか。

よくわかりませんでした。

 

しかも、取り寄せてまで購入していたものも。

 

戦争が好きなのかな?とかも思ったことがありました。

 

 

 

父親の生まれは下関。

 

海も近く、小さな戦闘機がよく上空を通っていたと。

 

北九州の八幡製鉄所が、そんな戦闘機やミサイルに使われる鉄を作っていたことも。

 

 

きっと、現実を、子供に知ってもらいたかったのかな。と。

 

 

いま、平和に過ごすことができているのは、先人が戦争後も不屈の精神で復興したから。

 

それに感謝しなさいというメッセージだったのかな。と。

 

父に聞く術はもうありませんが。

 

 

 

 

日本は原爆の被害国でもあります。

でも、戦争に至っては加害国でもあるのです。

 

 

爆薬や毒ガス、銃、、

あの戦時下で日本で秘密下に製造されたものはたくさんあります。

 

 

 

もし、自分の息子が戦争に行くことを考えたら。

お国のために、頑張って。と言えるわけがない。

 

 

今でも戦争で苦しんでいる人たちがいることを。

これ以上増やさないために。

 

 

歴史は繰り返さないように。

 

子供たちの笑顔を守るために。

 

 

 

ニューカレドニアから、平和を祈りたいと思います。