おしゃぶりはいいの?悪いの?どうなの?

ニューカレドニアから、こんばんは。

 

今日は4連休の2日目でした。

 

ここでは、祝日に挟まれた、月曜もしくは金曜は基本的に休みになります。

とは言っても、官庁や銀行、郵便局、学校など。

普通の会社は仕事ですし、スーパーも普通にやっています。

 

 

 

と言うことで、主人は仕事、息子は休み。

この間はこのパターンでも、休みだったような。

 

とにかく、主人が仕事に行ってくれるのは、嬉しいのです。

家にいても、特に何もしないのなら。って、鬼嫁ですね(笑。

 

主人の場合は、正社員でも時間給で給料が計算されるので、仕事に行かないとそのまま給料に響くのですよね。

だからです(笑。

 

 

 

息子は卒業検定が終わったから、拍車をかけて呑気です(汗。

ゲーム三昧です。

よく目が悪くならないな。。と感心します。

 

休憩しなさいと言っても、、、

 

糠に釘。

のれんに腕押し。

 

この年齢的に、無駄です。。。

 

 

それでも、乾燥しているせいで、かなりの咳をしています。

私も、なんとなく、喉がいがいがします。。

 

天気が良いですから、乾燥するのも仕方ないですかね。

 

 

 

 

今日は、おしゃぶりの話。

 

日本のドラマで赤ちゃんにおしゃぶりを与えているものは少ないでしょうが、海外だとよくある絵です。

日本人はおしゃぶりにあまりいいイメージを持っていないようですね。

 

 

私もそうです。

 

息子にはおしゃぶりは1度だけ。

 

3ヶ月の時に、お尻に赤いニキビ?ができて、それをとるために手術することになり。

その際に、医者に持ってくるように言われたのです。

 

でも。。

息子は既にその時には、無理でしたね。

 

 

麻酔ですぐに寝てしまったから、手術の際に泣き喚くと言うことはなかったようで、ほっとしました。

必要なかった。と言うか、、、

 

泣いている時に、試しに息子の口に入れたことがありますが、すぐに吐き出してました。

合わない。と言うことです。

 

 

おしゃぶりをしていると、静かにしてくれるし、寝てくれるし。って言いますね。

心を落ち着かせてくれるのは、赤ちゃんにとって、重要です。

確かに魔法の道具です。

 

 

 

ここで、幼稚園に上がる時。

必ず言われるのが、おむつです。

 

トイレトレーニングを必ずしてください。

おむつは禁止です。

 

 

幼稚園といえども、学校の区分になるので。

そこまで面倒は見切れないと言うことでしょうね。

 

 

 

加えて、おしゃぶりも持ち込み禁止です。

 

 

幼稚園に入っても、おしゃぶりを離さず困ったと言う、男の子のママ友は、、、

おしゃぶりに私が甘えてしまったから。

大人しくしててくれるのだもの。

だから、あの子には悪いことをしたな。と思うのよね。

 

車から降りるギリギリまでおしゃぶりを使って。

エイヤ!と気合を入れて、おしゃぶりを外して、幼稚園に行っていたそう。

 

 

しかも、おしゃぶりをしてでも話をしていたのです。

慣れると咥えていてもおしゃべりができるんだ!と、びっくりした記憶があります。

まあその時でも3歳を超えてましたから、話す必要は出てきますよね。

 

本当に、ここまで引きずるのはあまりお勧めできません。

 

 

やはり、頼りっぱなしはよくないと言うことですね。

辞めるタイミング。ってこれまた難しいようです。

 

やはり、おしゃぶりは1歳前後で卒業させるのが一番いいようです。

 

 

 

おしゃぶりは、やはり口の中に入れるもの。

ご飯の時に外して。とかだと、衛生上あまりよくないようにも思えます。

 

 

カバーがついてあるものも最近は販売されているようですが。

それでも、使っているママさんはいつ洗っているんだろう。。と思ったり。

やはり口の中に入れるものですものね。

哺乳瓶の乳首と同じ扱いにするのが良いでしょうね。

 

 

 

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ヌメアでも、もちろん普通のスーパーで買うことができます。

 

最近は色々な形のおしゃぶりがいくつものメーカーから出ているようですね。

本当に日本の商品開発力には頭が下がります。

 

 

 

おしゃぶりは歯並びにも影響を及ぼすとも言われています。

出っ歯になりやすいと言われるのは、有名です。

上の歯と下の歯の噛み合わせがうまくいかないケースも。

上唇の形にも関わってくるでしょう。

 

その辺も考えて、色々なメーカーから出ている商品を試すのも悪くありませんね。

 

 

 

また、泣き出したからと、すぐおしゃぶりをあげるのも良くないそうです。

感情を表に出すことができなくなってしまうから。

 

 

言葉も遅れるって言いますし。

 

 

 

とにかく、気持ちを落ち着かせること。

おしゃぶりを卒業させるのはこれが一番です。

いっぱい甘えさせてあげること。

 

おしゃぶりが大好きな子供は、大抵不安なのですから。

 

 

 

1歳くらいになったら、おしゃぶりより、歯固めに移行していくのが良いでしょう。

乳歯が出てきて、ムズムズしだす頃なので、冷蔵庫で冷やしておくと、気持ちよく噛んでくれますよ。

 

消毒したら、冷蔵庫に入れておくといいですね。 

 

 

おしゃぶりも使い方次第で、きっとママの負担を減らしてくれるアイテム。

でも、頼りすぎて、子供が後々困らないように気を付けてあげてくださいね。

 

 

 

ニッケルの強み。

ニューカレドニアから、こんばんは。

 

 

今日はニューカレドニアのナショナルデー。

 

正式にフランス領になった日です。

 

 

1774年にキャプテンクックより発見されてから、この島は、イギリス、フランス、アメリカ。。色々な国籍の人たちが、捕鯨や白檀などを目当てにわざわざ海を渡ってきました。

 

その後、ナポレオン3世の意向により、1853年の今日、フランス領になるわけです。

でも、その当時ここが使われたのは、流刑地としてです。

それはニッケルの鉱山が発掘されるまで、続いたとされています。

 

 

通称、カナックの日とも言われる今日の祝日ですが、、

先住民のカナックにしてみたら、植民地化されて、流刑民が入ってくるようになった、黒歴史の始まりの日であるわけです。

とは言っても、かなりフランスの恩恵を受けていますけど。ね。 

 

 

 

先日、主人が北部のニッケルの鉱山地近くに行ってきました。

もちろん仕事で。です。

 

 

 

ニッケルの鉱山はもちろん、その名の通り、山奥です。

露天掘りをしているこの国。

山を掘り起こして発掘していくわけです。

 

 

で、それをどうやって運ぶか。

トラックでと言うことになるわけですが、どうしても容量が少ないためにトラックだと何度も往復することになります。

山道ですので、曲がりくねった道を通ることになり、時間もかかるわけです。

 

そこで、作られたのは、ベルトコンベアーです。

 

 

 

長い長いベルトコンベアは港まで続きます。

そこから、船に乗せて、航海に出るわけです。

 

 

 

 

 

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見えますか?向こう側。

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これです。これ。

 

 

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道路の上をベルトコンベアーが通ります。

 

かなりやわなコンベアーに見えます。

台風対策は大丈夫なのかな?

 

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下を通るなんて、なんか変な感じ。

 

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また通ります〜。

 

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山道なので、何度も合います〜。

 

 

ニューカレドニアの本島、グランドテール島の東海岸です。

ヌメアとは近くありません。

 

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位置はここです。ニューカレドニア東海岸

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ニッケルの鉱山地をサテライトで見ると、こんな感じ。

 

段々畑のようにも見えます。

緑色が見えますが、ニッケルを含んだ水。

 

 

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でも地図で見ると・・・何もない!

 

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ベルトコンベアーは右のクアウアの港まで続きます。

 

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クアウアの町は小さいです。

 

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滑走路のように見えるのが、ニッケルの保管場所。コンベアーの最終ポイント。

 

道なりにいくと、鉱山地から港までは16キロ程度。

でも、ベルトコンベアーは10キロほど。

かなりの短縮です。

 

 

 

ここニューカレドニアにはこの他にも、ニッケル用のベルトコンベアーがいくつかあります。

でも、道路の上を通っているのは、ここだけのような。

 

面白い風景ですよね!

 

 

 

さて、ニューカレドニアは、10月4日に2度目の独立を問う、国民投票が行われます。

フランスとしてみたら、ニッケルがあるこの国を中国に取られたくない。と思っているはず。

 

 

この島国に住むものとしたら、独立してのメリットがあまり感じられないのです。

 

さて、どう転ぶでしょうか。

来週末です。

 

 

離婚のしわ寄せ

ニューカレドニアから、こんばんは。

今日も良い天気でしたが、風が強い!

外は暖かくて、日向は暑いくらいなのに、家の中に入ると途端に涼しいです。

 

 

近くのホームセンターに行ったら。

 

既にハロウインの飾り付けや被り物などが売られていました!

 

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ハロウィンは10月31日。まだ早いよ。

 

だんだん、ハロウィンも日本でイベントとして認知されているようですね。

息子はキリスト教の学校に通っていますが、ハロウィンの意味も知らないだろうな。

 

キャンディもらえる?

仮装してピンポン?

 

そんなところでしょう(汗。。

 

 

 

 

今日は私自身の体験、親の離婚談(笑。

 

昨日の続きです。

 

 

 

やはり父親一人で娘二人はかなりキツかったでしょう。

時に、父の故郷の下関から叔母が手伝いに来てくれたりもありましたが、近所は特に。

男親一人ですから、余計に近寄り難くなってしまったのだと思います。

 

 

幼稚園の最後の遠足で、お弁当が必要になった時。

父がどうにかこうにか作ってくれました。

作ったというより、ただ詰めた。というだけでしたが。

 

でも、その中に、エビフライの尻尾(だけ)が入っていたのですよね。。。

幼稚園のクラスメイトにも、お弁当にエビフライが入っていたの?

豪華だね!と言われたけど、、、

尻尾だけですよ。尻尾。

 

これは前日、夕食に出たエビフライ(どこかで買ってきたものでしょう)が出た時、私は身を食べて、尻尾を食べなかったんです。

父に、残さず食べなさいと言われたけど、尻尾は、、、

食べなかったのです。

それを入れられた、、というわけです。

半分嫌がらせですね(笑。

 

そのお弁当箱も、新聞紙で包まれていて、、

幼稚園児のお弁当ではないですよね!

恥ずかしかったな。

中身も見られるのが嫌でした。

 

 

 

そして、父は婚活をはじめます。

私が7歳。姉は10歳。

40歳近くて、バツイチ。しかも、2人の娘がいる。

 

マイナスだらけです。

 

何人か、いい人がいると父から言われて、うちで一緒に食事をしたりもしましたが。。

でしょうね。

断られてました。

 

 

でも、今度はどうだろう。と連れてきた女性は、背も高く、学校の先生もしていたという人。

 

その女性もバツイチということで、きっと、バーが下がっていたのでしょうね。

 

 

父はその女性と結婚することになりました。

 

 

結婚式もキレイでした。

私も、新しいお母さん。ということで嬉しかったのを覚えています。

 

これで、仲間外れにされないだろうという気持ちも。

美味しい料理が食べられるという期待。

 

早速甘えさせてもらったのも覚えています。

 

 

 

でも、結局は仲間外れ。

今度は、お母さんが違うんでしょう。

だからあなたとは遊べない。

 

なんだ、結局はダメなんじゃない。

 

 

 

そして、私が9歳の時、妹が生まれるわけです。

 

 

新しい母は、家事が苦手な人でした。

洗濯も、タオルと下着は洗濯機。

それ以外はドライクリーニング。

 

Tシャツもドライクリーニング行きです。

 

妹が生まれて、布オムツを使うようになってからは、小さなものも、ドライクリーニング行きでした。

だからか、洋服が回らない。

4、5日同じ洋服で、クラスメイトに馬鹿にされていじめられました。

小学生で同じ洋服を続けてきてたら。

ちょっと危ないですよね。

衛生的にも。

 

同じ服=汚い。

まあそんなイメージですよね。

 

いじめる気持ちももちろんわかります。

 

殻から飛び出せず、うじうじしていた私。

いるのかいないのかもわからない。

そんな影の薄い子供でした。

格好のいじめのマトです。 

 

 

 

継母は料理も苦手そうでした。

 

あまり好きではなかったのでしょう。

結局は姉や私が作ることに。

惣菜にもかなり助けてもらいました。

 

その辺は再婚後もあまり変わらなかったかな。

 

 

決定的になったのは、確か、父の誕生日。

その日は父の好きな天ぷらを継母が作ろうと準備をしていた時。

 

妹はこたつで本を読んでいた。

小さな妹は小さな椅子に座って、炬燵のヒーターのカバーを無意識に蹴っていたところ。。。

カバーが外れて、足がヒーターに当たって、、

大きな火傷を負ってしまったのです。

 

 

そこから、さらに料理もしなくなった継母。

ずっと妹を見ていないと危なくて怖いから。と。

言い訳言い訳。

 

 

 

貧血気味だからと、朝も学校に行く時間でさえも継母は起きてこない。

妹を産んでから余計に。

 

日曜の朝はリビングを掃除機かけることになっているのに、9時半より前にかけ始めると、まだ寝てたのに、うるさいと怒られたり。

  

 

学校から寄り道も許されず。

帰ってきたら遊びにも出られない。

バイトをしたら、半分以上家に入れる。

 

もちろん、家事もしないといけない。

 

 

なんの時だったか。

継母に怒られた時。

 

あんたなんて、娘じゃないの。

私の娘じゃないの。

私はあんたのお父さんと結婚したけど、あんたとは養子縁組をしていないから。

一緒に住んでいるだけ。

 

 

 

わかっていたけど、かなりショックでした。

やはり出来の悪い私は、、仕方ないかなと。

 

時期がきたら、独り暮らしをしようとその時決心したのです。 

 

 

 

 

20歳で独り暮らしをしてからは、とっても快適でした。

仕事で遅くなっても気を使わなくて済むし。

自分のペースで家事もできるし、料理なんか一人分でいいし。

バイト代を取られることもないし。

 

 

そのまま就職。

独り暮らしは貧乏だったけど、充実してました。

 

 

そして、少し経った頃。

 

 

姉から。

実母が名乗り出てきたよ!

急に電話がきたの。

 

 

 

文章を書くのが好きな姉が新聞に詩を投稿したら、実母が見ていたそうで。

はやる気持ちを抑えて、連絡してきたそう。

 

私たちのことは、父と母の仲人さんから逐一聞いていたようで。

電話番号も。

 

 

 

 

でも。

わからないのです。

どう接したらいいのか。

 

 

その時、私24歳。

母と別れたのが5歳。

20年近く離れていたのです。

実感が湧かないというか。

いやいや、距離感がわからないというのが正直な気持ちでした。

 

 

ほとんどの母の写真を捨ててしまったけど(父に捨てるように言われたから)、顔は覚えてました。

母と私たち3人並ぶと、しっかり母娘という感じ。

 

 

 

長すぎた空白の時間を埋めるのは、そう簡単ではないのです。

別に、私は母を恨んでもいなかった。

でもね。違うのです。

 

 

 

 

苦労させたね。と母は。

でも、それが今につながっているから、一概にそう言えませんね。

良いか悪いかは別。

 

 

もちろん、他の道があったなと思うこともあります。

それはどんな形になっていたかもわかりませんが。

 

 

 

 

実母は、息子が生まれてから、ここに2度遊びに来て、それはそれで楽しかったけど。

 

 

今は、よくわからない関係になっています。。

微妙。

 

多分、うちら家族が帰国した時、母の住む家に遊びに行ったのがよくなかったんだと思うのです。

 

 

やはりね。

問題は距離感なのです。

 

 

お互い、距離感の取り方がわかっていない。

私たち母娘は。

不器用なのでしょうね。

本当に不器用なんだと思います。

 

 

もちろん、母の旦那さんもいました。

私は何度も会っていたけれど、息子と主人を会わせたのは初めて。

 

母は、異様に、私たちを前に、その旦那さんに気を使っていた。

それが見ていられなかったのです。

 

 

 

 

 

離婚をするのは仕方ない。

喧嘩ばかりしている両親だったら、離れた方がいいはず。

 

でも、子供たちのこともケアしてあげて。

しわ寄せが来るのは弱者である、子供たちなのだから。

 

 

 

逃げ場を作ってあげて欲しいのです。

帰る場所があるということを。

待っている誰かがいるということを。

 

 

離婚の偏見。

ニューカレドニアからこんばんは。

 

今日は青空の色も濃く、良い天気になりましたが、問題は風。

 

ビュービューゴーゴー。。。。

春の嵐です。

 

この風の通り道にライチの木があって、毎年強い風で多くの蕾や花が飛ばされてしまいます。

これも自然の摂理。

 

このくらいの風に耐えきれなくてどうする!

って。まるでスパルタ教育です。

 

いつも地面を見て、残念だなと思っていたのですが、そうして残った実がおいしくなればいいのかなと。

自然の間引きですね。

 

その風も、大抵、夕方にはおさまります。

4時ごろには。

面白いことに落ち着くのです。

 

でもその頃には気温が落ちていますので、寒いです。

 

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ライトに照らされた椰子の木。

 

 

 

今日は、親の離婚について。

 

息子の話ではなく、私自身の話です。

 

 

うちの父は、大学進学とともに、東京に出てきました。

卒業後、山登りのサークルで、母と会い、結婚。

 

母は中卒でした。

父は、女性は学歴がない方が、自分の思い通りになると思ったようですね。

 

母は下に見られることが多いのが嫌になり、定時制高校にでも行かせてもらうよう、頼んだそうで。

でも却下。

 

家事だけしていればいい。という典型的な昭和の夫だったのでしょうね。

 

頼みに頼んで、裁縫学校には行かせてもらった母。

 

 

 

そしてその頃に、父はサラリーマンを辞めて、独立したのです。

もちろん、うまく行ったりいかなかったり。

その辺のストレスがあったかもしれません。

 

いつの間にか、母に暴力を振るうようになりました。

 

八つ当たりですね。

 

母への暴力は、私たち娘がそばにいても起こるようになり。。。

そんな母は、いつの間にか父に対しての愛情も薄れていったのでしょう。

 

いくら、昔は暴力が当たり前だったとしても、よくありません。

 

 

私が5歳、姉は8歳の時、両親が離婚することになります。

原因は、父の暴力。母の浮気。

 

 

家庭裁判所からの帰りのバスの中。

 

 

お母さん、ジャンケン負けてしまったの?

私、強いから代わりにやってあげたのに。

 

 

もちろん、5歳で理解できることではありません。

でも、なんとなく、母が負けたというのは感じたのでしょうね。

 

離婚と同時に、母が家を出ました。

親権を父が取ったからです。

 

父は、引くに引けない感じだったように思えます。

強情な人でしたから。

 

 

裁判官に言われたそう。

子供を引き取ったら、再婚も難しくなる。

悪いことを言わないから、放棄したほうがいい。

父親一人で娘2人を育てるのは難しい。

 

聞く耳持たず。

 

 

 

母はしばらく同じ都内に住んでいました。

3つ上の姉は、場所を聞いていたそう。

何か辛いことがあったら。って。

 

 

 

ある日、父に怒られた姉は、私を連れて、家出を決行。

お母さんに会いたいでしょう。行こう!って。

 

すぐ近くの電話ボックスから母に電話。

母のアパートに転がり込みました。

 

 

姉の行動力も凄かったと思う。

その時まだ9歳。

バスと電車を乗り継いで。

 

娘たちが母親を恋しがっていることを聞いて、父親は3ヶ月の猶予をくれました。

学校も保育園も母のアパートから通って。

 

 

保育園に通った記憶はあります。

今まで幼稚園だったから、昼寝の時間もなかったのに、寝ないといけないこと。

辛い時間でした。

でも、その後のおやつの時間が楽しみでした。

 

幾分、母の顔が明るかったこと。

母の姉の家近くに住んでいたからでしょうか。

 

 

 

そのあとは、また父の家に戻されます。

私はまた元の幼稚園に通うことになりました。

保育園が自由で楽しかったから、幼稚園は窮屈に感じたこと。

 

 

もちろん、父は家事ができる人ではありませんでした。

結局、姉が家事をやることに。

家事もやって、しかも勉強もよくできた姉。

今考えると、スーパー小学生ですね。

 

 

低学年だからと、鍵を持たせてもらえず、隣人の玄関で姉が戻ってくるのを待った記憶があります。

一人で留守番は危ないから。って。

 

でも隣人も、親切なのか親切じゃないのか。

玄関というのが。。。

一応、中だけど、あがらせてはもらえない。

その玄関口で宿題をやったり、絵を書いたり、本を読んだり。

冷たい板の間ででした。

 

 

 

その当時、離婚するというのは、とても珍しいことでした。

女性に人権はなかったような時代。

夫に尽くすのが当たり前の時代。

 

 

しかも、私たち姉妹は父親に引き取られた。

母親がいないわけです。

 

 

腫れ物に触るような。

特に先生。

どう扱ったらいいのかわからないのでしょうね。

殻に閉じ籠ってしまった私を。

 

同級生でも、遊んでくれない子も。。。

子供は残酷です。

 

うちのお母さんがね。一緒に遊んじゃだめ。っていうの。

あなた、お母さんがいないのでしょう?

そんな子と遊ぶな。って。

 

何も言い返せないですよね。

その通りだけど、自分のせいで母親がいないわけでもないのに。

 

 

 

私が殻に閉じ籠ってしまったのは両親の離婚だけが原因ではなかったと思うのです。

その後の、そんな周りの反応。です。

 

 

 

母は、父から私たちと連絡を取ることを禁止されました。

前に進めないから。って。

 

その後、母は当時の浮気相手だった男性の故郷に嫁いで行くことになります。

 

 

 

そして、父は。

私たち2人の娘のために、再婚することにしたのです。

その時、私は7歳、姉は10歳でした。

 

 

今は昔と違って、離婚に対してそんなに偏見はないかもしれません。

でも、まだ。

 

 

 

長くなってしまったので、この続きは明日に。

 

 

 

いやいや期は誰でもあること。

ニューカレドニアから、こんばんは。

 

今日はすこぶる良い天気でした。

気温も気持ちいいくらいまで上がっていて、日差しも強くなっています。

風がありますので、泳ぐにはまだ早い感じに思えますね。

 

 

やはり青空は大好きです。

長く住んでいた東京周辺はどうしても空が狭いですが、ヌメアは違います。

大きな空が見えますね。

 

大きな建物もないので、開放感があります。

 

 

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椰子の木と青空。大好きな組み合わせ。

  

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お日さまを背に受けて輝いています。

 

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ライチの実もだんだん出てきています。

 

 

今日は、息子の大事な、中学卒業検定試験の日。

お昼に戻ってきて、難しかった〜。と言っていたので、結果はあまり期待しない方が良いでしょう(笑。

明日もあります。

明日は数学、化学、物理。

また手強そうですね。

 

 

心配ですが、本人次第ですからね。

私は見守るしかできません。

 

 

 

 

今日は、そんな息子のイヤイヤ期に遡ってのことを。

 

息子は3歳になる少し前に幼稚園に行くことになりました。

その前までは保育園にも行ったことがない、フランス語もほとんど話せない、そんな状態でした。

ほとんどの時間を私と過ごしたのですから。

 

友人たちにも、近所の人たちにも、幼稚園入るときに苦労するよ。

きっと大泣きするんじゃないの?って。

 

もちろん覚悟はしていました。

 

 

フランス語は幼稚園に通い出せば、そのうち話すだろう。と思ってました。

友達からきっと吸収していくだろう。と。

 

でも、男の子だからか、ずいぶん遅く感じました。

 

 

 

だからでしょうね。

息子は幼稚園に行きたくないと駄々をこねることが本当に多かったです。

 

 

 

 

あの日も、そうでした。

 

スイッチが入るというのはこのことなんでしょうね。

 

いつも通りに、もう行く時間だ、トラック持っておいで。と息子に声をかけたのです。

 

今日のトラックを選んで、支度をするはずでした。

でも、あの日は、ソファーに横になって、ないない!!

 

埒が開かないので、小さな息子のトラックコレクションから適当に選んで、息子をおんぶして、車へ。

 

でも、そこでも問題。

運転席から動かないのです。。。

 

時間も迫っているから仕方ない。

息子の前に座って、運転して幼稚園まで。。

ドキドキものでしたが、できないこともなく、ほっ。

大した距離でもなかったのが幸いでした。

 

 

幼稚園について、友達の顔を見たら、違うかな。と思ったけど甘かったのです。

いつもは車にトラックを置いて、歩くはずなのに。

そこでも、ないない!!

車から降りようともしない息子。

気乗りしないようで。

 

 

ようやくおんぶして、鍵をかけたら、トラック〜。と言い出すし。

学校には持っていけないから。車の中で、お留守番。と言っても納得してくれません。

 

おんぶからおりたいというポーズをするので下ろすと、今度は座り込んでしまうし。

やっとの思いで、教室に着くと、廊下に転がってしまう息子。

ここでは、トラック〜。を連発。

 

 

 

前日見に行ったトラックが気に入ったのか、また見に行きたいのか。。

 

そう思って、じゃあ、今日も終わったら、トラックを見に行こう。

だから、頑張って。そう諭しても反応なし。

 

最後にトイレにいかせたいのに、それどころじゃないなと思った頃に、

サブの先生が見かねて出てきてくれました。

既に鐘もなっていましたし。

 

 

そんなあたりで、息子はおしっこ!と申告。

自分から言ってくれた!と連れて行ったのに、結局、ないない!と言ってせず。

トイレに座り込もうとする始末(汗。

 

 

幼稚園がそこまでいやなら、気分が乗らないのなら、帰らせようか?と思ったけれども、既に教室の前だったので、、

 

サブの先生も、あとは引き受けるからと言ってくれて。

でも涙目の息子を置いていくのは気が引けましたが、泣いている息子を抱っこして教室に入ってくれたので、帰ることに。

 

この間、約20分。。

振り回されました。

 

 

でも、お昼に迎えにいくと、普通に戻っていた息子。

サブの先生も、あれからすぐ泣き止んで、みんなと遊んでいたから、安心して!と。

 

ほとんどフランス語が話せない息子に手を焼いたと思うのに、大変だっただろうな。

 

 

こんな話を息子に話すと、良い思い出だね。って。

なんだか他人事(笑。

張本人なんですけど!

 

良い思い出ではなく、苦労した思い出。

 

 

いやいや期は誰にでも来るものでしょう。

自己主張ができるようになったというのは喜ばしいことでしょう。

 

 

頭ごなしに起こらず、大きな心を持って接していくこと。

子供と、信頼関係を築くこと。

 

 

でも、疲れます。

体力的にも、精神的にも。

 

子育てはそんなものです。

だからこそ、周りに助けを求めましょうね。

 

鹿肉いただきました!

ニューカレドニアから、こんばんは。

 

今日も1日よくわからない天気でしたが、、

どうにか午後になって晴れ間も戻ってきました。

 

この分なら、明日は良い天気になるのかなと。

わかりませんが、期待しましょう。

 

 

 

さて、今朝、主人の古くからの友人から、鹿肉をいただきました。

 

 

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肩のあたりですね。

 

 

大体、鹿肉をもらうときには、塊です。

しかも、骨つき。

豪快です。

 

ちなみに、この上腕部はまだ小さい方。

既に、冷凍庫には大きな腿の鹿の骨つき肉が眠っています。

 

捌くのが意外に面倒なのです。

筋が多いので、それを取り除いていくのですが。

 

大きな筋は、食べることができません。

でも、この筋と筋の間に、お肉があるので、捨てるわけにもいきません。。

 

 

 

ここニューカレドニアには、野生の鹿が多く存在しています。

夜に水を探しに移動するタイミングを見て、狩をするそうです。

 

今日のものは、生だったので、昨日に狩ったものだと思われます。

 

鹿狩りをするときに注意したいことは、あまり走らせないようにするということ。

どんどん肉が硬くなってしまうから。

 

 

 

鹿肉は、他の食肉と違って、脂肪も少ないヘルシーなお肉です。

 

低カロリーですが、高タンパクで鉄分も豊富。

鹿肉に含まれる、ヘム鉄は、体が吸収しやすいことでも知られているもので、冷え性、貧血を予防する役割もあります。

 

女性には嬉しいお肉なのです🎵

 

 

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日本ジビエ振興協会のホームページより

 

 

確かに赤の色が強いですので、敬遠される人も少なくないようですね。


私が鹿肉を料理する時は、薄く切って、炒めることが多いです。

火を通せば通すほど、硬くなってしまうので、短時間で済ませることが重要です。

 

でも、野生の肉です。

生で食べることは避けた方がいいです。

食中毒や、感染症、肝炎などのリスクがありますので。

 

 

 

 

ちなみに、義母は、鹿肉を煮込みます。

ワインビネガーを入れてコツコツ。

結局、性質上、パサパサしてしまうだけに思えますね。。。

 

 

また、味がつきにくい肉でもあります。

タレに漬け込んでも、あまり効果がないでしょう。

火を止める少し前に塩胡椒で味をつけることくらいです。

 

 

 

日本から来た方たちと、うちの庭でのバーベキューをした際に、鹿肉を提供したこともありました。

でも皆さん、想像よりも柔いことに驚かれていましたね。

 

どうしても、鹿肉というと固いイメージがあるのでしょう。

 

 

 

 

 

私が冷えに悩まされるようになったのは、日本でのOL時代です。

私の席、座ったちょうど首の位置に冷房の風が当たって。。

そこから、冷房病にまでなりました。

 

辛かったですね。

食欲もなくなり、体重もずいぶん落ちました。

 

喉越しのいい、カレーとか、ソーメンとか。

そんなものばかり食べていたような。

でもまたそれも良くなかったのですよね。。

 

 

 

それ以来、基本的に冷房が嫌いです。

不自然な風が嫌い。

扇風機もダメです。

 

確かに、小さい頃から冷房はあまり使わなかったように思います。

それも影響しているのでしょうか。

 

 

子育てもある程度まできたので、そろそろ自分の体も労っていかないといけませんね。 

 

輸出用のエビを。

ニューカレドニアから、こんばんは。

今日は遅いブログです。

 

どうも野球を見ていると進みませんね。。

 

今日はまたまた変わりやすい天気でした。

パラパラ雨も降ったし。

すっきりと晴れもしたし。

 

こういうときに、私が雨を心配して洗濯物を屋内に入れると、すぐに晴れてくるのです。。

裏をかいて放っておくと、雨が降ってくるのですよね。

 

おちょくられているような気分になります。

 

 

 

今日は主人の上の娘の車を借りました。

 

彼女の車はスズキジムニーです。

とはいえ、名義は主人ですけどね。

10年ほど前の車です。

 

でも、3年ほど前に、娘は大きな追突事故を起こしまして。

エアバックが飛び出てしまったのですが、その時はほとんど使っていなかったので、もったいないと、直しました。

 

完全ではないですが、まずまず直っているので、よしとしています。

パーツを取り寄せたり、できるところはうちで直したりと、かなりの時間を要しました。

もちろん、お金も。

 

 

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ジムニーの白は、ここでもよく見かける、一般的な車ですね。

 

 

そうそう、新しいジムニーは、かなり人気だそうですね!

半年待ちでも、珍しいことではないみたいで。

 

こっちにはたくさん在庫がありますよ(笑。

ハンドルが逆ですけどね。

 

 

 

 

久しぶりに、近所のスーパーでも車で、しかも一人で行けるのはありがたいです。

歩きだと、かさばるものとか重いものは、あとのことを考えて、買いませんから。

 

 

スーパーで、こんなものを見つけました。

 

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ニューカレドニアの天使のエビ!日本に輸出するためのパックです。

 

 

21−26という数字が見えます。

これはサイズです。

1キロにどのくらいの数が入るか、という意味。

 

この箱の中には20個くらい入っているわけです。

ちなみに一番大きなサイズです。

 

朝市では、26−30の2番目に大きいサイズが並んでいます。

スーパーなどには、サイズを選べるようになっています。

 

この他に、

30−40

40−50

50−60というサイズがあります。

80−100もありますが、小さい小さいものですね。

 

 

1キロ3300フランほどなので、

買ってもいいかなと思ったのですが。。

 

とりあえず、息子の試験の結果次第ということで。

購入するのはそれからでもいいでしょう。

息子もエビが大好きですから。

 

 

 

ここのエビはご存知の通り、天使のエビとして、日本に運ばれていきます。

 

塩で茹でるだけなのに、なぜか甘いエビ。

本当に美味しいです。

 

こちらに来られたときにはぜひ、朝市やスーパーで探してみてくださいね。

 

その際にはキッチン付きの部屋を予約しましょう。

日本から、お醤油やワサビを持ってきても良いでしょうね!

 

 

 

茹でるだけでも、ガーリックと一緒に炒めても。

その味に満足すること、間違いありません。