離婚の偏見。

ニューカレドニアからこんばんは。

 

今日は青空の色も濃く、良い天気になりましたが、問題は風。

 

ビュービューゴーゴー。。。。

春の嵐です。

 

この風の通り道にライチの木があって、毎年強い風で多くの蕾や花が飛ばされてしまいます。

これも自然の摂理。

 

このくらいの風に耐えきれなくてどうする!

って。まるでスパルタ教育です。

 

いつも地面を見て、残念だなと思っていたのですが、そうして残った実がおいしくなればいいのかなと。

自然の間引きですね。

 

その風も、大抵、夕方にはおさまります。

4時ごろには。

面白いことに落ち着くのです。

 

でもその頃には気温が落ちていますので、寒いです。

 

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ライトに照らされた椰子の木。

 

 

 

今日は、親の離婚について。

 

息子の話ではなく、私自身の話です。

 

 

うちの父は、大学進学とともに、東京に出てきました。

卒業後、山登りのサークルで、母と会い、結婚。

 

母は中卒でした。

父は、女性は学歴がない方が、自分の思い通りになると思ったようですね。

 

母は下に見られることが多いのが嫌になり、定時制高校にでも行かせてもらうよう、頼んだそうで。

でも却下。

 

家事だけしていればいい。という典型的な昭和の夫だったのでしょうね。

 

頼みに頼んで、裁縫学校には行かせてもらった母。

 

 

 

そしてその頃に、父はサラリーマンを辞めて、独立したのです。

もちろん、うまく行ったりいかなかったり。

その辺のストレスがあったかもしれません。

 

いつの間にか、母に暴力を振るうようになりました。

 

八つ当たりですね。

 

母への暴力は、私たち娘がそばにいても起こるようになり。。。

そんな母は、いつの間にか父に対しての愛情も薄れていったのでしょう。

 

いくら、昔は暴力が当たり前だったとしても、よくありません。

 

 

私が5歳、姉は8歳の時、両親が離婚することになります。

原因は、父の暴力。母の浮気。

 

 

家庭裁判所からの帰りのバスの中。

 

 

お母さん、ジャンケン負けてしまったの?

私、強いから代わりにやってあげたのに。

 

 

もちろん、5歳で理解できることではありません。

でも、なんとなく、母が負けたというのは感じたのでしょうね。

 

離婚と同時に、母が家を出ました。

親権を父が取ったからです。

 

父は、引くに引けない感じだったように思えます。

強情な人でしたから。

 

 

裁判官に言われたそう。

子供を引き取ったら、再婚も難しくなる。

悪いことを言わないから、放棄したほうがいい。

父親一人で娘2人を育てるのは難しい。

 

聞く耳持たず。

 

 

 

母はしばらく同じ都内に住んでいました。

3つ上の姉は、場所を聞いていたそう。

何か辛いことがあったら。って。

 

 

 

ある日、父に怒られた姉は、私を連れて、家出を決行。

お母さんに会いたいでしょう。行こう!って。

 

すぐ近くの電話ボックスから母に電話。

母のアパートに転がり込みました。

 

 

姉の行動力も凄かったと思う。

その時まだ9歳。

バスと電車を乗り継いで。

 

娘たちが母親を恋しがっていることを聞いて、父親は3ヶ月の猶予をくれました。

学校も保育園も母のアパートから通って。

 

 

保育園に通った記憶はあります。

今まで幼稚園だったから、昼寝の時間もなかったのに、寝ないといけないこと。

辛い時間でした。

でも、その後のおやつの時間が楽しみでした。

 

幾分、母の顔が明るかったこと。

母の姉の家近くに住んでいたからでしょうか。

 

 

 

そのあとは、また父の家に戻されます。

私はまた元の幼稚園に通うことになりました。

保育園が自由で楽しかったから、幼稚園は窮屈に感じたこと。

 

 

もちろん、父は家事ができる人ではありませんでした。

結局、姉が家事をやることに。

家事もやって、しかも勉強もよくできた姉。

今考えると、スーパー小学生ですね。

 

 

低学年だからと、鍵を持たせてもらえず、隣人の玄関で姉が戻ってくるのを待った記憶があります。

一人で留守番は危ないから。って。

 

でも隣人も、親切なのか親切じゃないのか。

玄関というのが。。。

一応、中だけど、あがらせてはもらえない。

その玄関口で宿題をやったり、絵を書いたり、本を読んだり。

冷たい板の間ででした。

 

 

 

その当時、離婚するというのは、とても珍しいことでした。

女性に人権はなかったような時代。

夫に尽くすのが当たり前の時代。

 

 

しかも、私たち姉妹は父親に引き取られた。

母親がいないわけです。

 

 

腫れ物に触るような。

特に先生。

どう扱ったらいいのかわからないのでしょうね。

殻に閉じ籠ってしまった私を。

 

同級生でも、遊んでくれない子も。。。

子供は残酷です。

 

うちのお母さんがね。一緒に遊んじゃだめ。っていうの。

あなた、お母さんがいないのでしょう?

そんな子と遊ぶな。って。

 

何も言い返せないですよね。

その通りだけど、自分のせいで母親がいないわけでもないのに。

 

 

 

私が殻に閉じ籠ってしまったのは両親の離婚だけが原因ではなかったと思うのです。

その後の、そんな周りの反応。です。

 

 

 

母は、父から私たちと連絡を取ることを禁止されました。

前に進めないから。って。

 

その後、母は当時の浮気相手だった男性の故郷に嫁いで行くことになります。

 

 

 

そして、父は。

私たち2人の娘のために、再婚することにしたのです。

その時、私は7歳、姉は10歳でした。

 

 

今は昔と違って、離婚に対してそんなに偏見はないかもしれません。

でも、まだ。

 

 

 

長くなってしまったので、この続きは明日に。