ニューカレドニアから、こんばんは。
朝晩はまだ冷えますが、今日の日中は30度近くまで気温が上がりました。
それでも気温ほど暑く感じることもなく、過ごしやすいです。
5月半ばにここニューカレドニアで暴動が起きてから、暗いニュースばかり伝えてきました。
真実を伝えた方が良いと思いつつも、こんなことを伝えたら来てもらえなくなってしまうと思う気持ちと葛藤しながらここまで来ました。
先が見えない不安。
いつの間にか変わってしまった風景。
現実は。。
考え始めたらキリがありません。
なので、今日は少し視点を変えて、マニアックな話を。
ガイドブックなどでよく見る観光ポイントの中に、アメデ灯台島と言うのがあります。
ヌメアの朝市の横にあるポートモーゼルという港から高速船で40分ほどの、珊瑚の環礁の切れ目に位置する灯台。
この島で一日過ごすツアーが人気です。
綺麗な砂浜でのんびりしたり。
たくさんの魚たちと戯れてみたり。
人気のお昼のビュッフェやタヒチアンダンス。
島のシンボルの灯台に登ることもできます。
今でこそ、人気の日帰りツアーの1つで、たくさんの人たちが訪れる島ですが。
あまり知られていない事実があります。
日本の潜水艦が近くに眠っているということ。
太平洋戦争の最中、1943(昭和18)年8月19日。
アメデ灯台島の南約80キロの地点で、日本軍の潜水艦が連合国によって沈没させられました。
伊号17潜水艦。
乗組員のうち死亡97名。
生存者は6名。
全長114メートルの潜水艦でした。
水上飛行機も搭載していました。
この伊号17潜水艦は1938年に横須賀で竣工されました。
この潜水艦のミッションはできるだけ多くの敵の船を沈没させることでした。
これはアメリカ本土に初めて攻撃した船。
真珠湾攻撃だけではなく、カルフォルニアの石油会社を撃破したりで、アメリカ国民にとって、かなりの脅威だったと聞きます。
その後はシドニーとヌメアの間で石炭を運ぶ鉱石運搬船も何度か砲撃したり。
タンカーも多く被害に遭いました。
この潜水艦を撃沈させたことにより、連合国にとってかなり優位になったというのは想像に容易いです。
これ以上の被害を食い止めることができたからでしょう。
1983年、遺族約20名の立会いのもと、行方不明の乗組員を追悼するための記念碑が建てられました。
そして30年後の2013年、その記念碑は新しくされたのです。
今でも、伊号17潜水艦の船体は見つかっていません。
アメデ灯台島の環礁のすぐ近くには、大陸棚があります。
水深1000mとも言われる場所。
何度も爆雷を放ったという記録が残っているので、原型を留めてはいないでしょう。
戦争で拒否ができなかった多くの指令。
連合国も、日本が加盟していた三国同盟に加わった枢軸国にも大きな被害をもたらしました。
人の命に優位をつけ、簡単に扱った。
日本は、伊号17潜水艦は加害者でもあるのです。