どう返事をしようか。

ニューカレドニアから、こんばんは。

 

 

今日は1日風が強かったです。

天気は良いですが。

どうしても乾燥しますね。

 



 

 

昨日の朝、実母からメッセージをもらって、どうやって返そうかといろいろ考えていました。

なんだかまだもやっとします。

と言っても、間違いを指摘する勇気はありません。

 

 

mikomiko85.hatenablog.com

 

 

 

再婚後の家族に、亡き妹に、嫉妬をしているのかもしれません。

誕生日を忘れられたことで、拗ねているのかもしれません。

自分でもよくわかりません。

 

 

 

まあ一度捨てられた身ですから、臆病になるわけです。

必要以上に人の顔色を伺うくらいには。

 

 

 

私の両親は、私が5歳の時に離婚しました。

まだあの頃は離婚が珍しかった頃。

 

 

 

小さい私は母と一緒にいたかったのに、経済的な理由も含めて、親権を手放さないといけなくなった母。

 

5歳では大人の事情なんてわかりません。

親権が父になったという裁判結果を聞いて家に戻る際のバスの中。

 

どうして、負けちゃったの?

私、ジャンケン強いから、私が代わりにやってあげたのに。

 

 

こんな言葉を母にかけた記憶があります。

きっと母はかなり落ち込んでいたのでしょうね。

そんな母を元気つけたくて。

 

 

 

 

それが、姉が新聞に投稿した詩を見て、名乗りを上げてきたのです。

私が24歳の頃でした。

突然に。

ずっと音沙汰なかったのに。

 

 

 

いくら母娘でも、血が繋がっていても。

20年くらい音信不通だった人と、いきなり円満な関係が築けるわけがありません。

 

 

複雑でしたね。

感動の再会。とはなりませんでした。

 

母は、泣いて謝ってくれました。

それでも、過去の心の傷は、、変わらないのです。

 

離婚の原因は父の暴力と母の浮気。

どっちもどっち。

 

 

 

夫婦の事情はいろいろだったでしょう。

父が母に暴力を振るっていた記憶もしっかりあります。

 

 

 

 

 

音信不通だった20年間、おめでとうをも言えなかった間柄。

だから、再会後は、その日くらい、覚えていて欲しかったな。と思うのです。

父親ならともかく、母親だから。

 

 

がっかりというか。

なんというか。

 

自分が母にとってそんな程度の存在なんだということ。

思い知ったというか。

 

 

恨んでいるわけではないのです。

20年間分の償いをして欲しいわけでもないのです。

ただ。

 

 

それでも変に冷めた自分がいます。

やはり、私はさそり座の女だからでしょう。