ニューカレドニアから、こんばんは。
今日は天気は良かったものの、朝からものすごい風が吹いていました。
木の枝がしなっているくらいの風。
ココナッツの実も、葉も落ちて来ています。
海には白波が。
海沿いの道路を車で通ったら煽られるくらいでした。
今日は水曜。
今週学校の息子は、半日のみ。
この分だと来週は休み。
隔週での登校はこのまま最終日、12月10日まで続くようです。
息子は友人の家に学校からそのまま行ったようです。
最近はこの友人とばかり過ごしているように思えます。
この間誕生日を迎えたので、17歳の彼。
口達者なので、引っ込み思案の息子は引っ張られている感じがします。
私は主人と出会った時、あまりフランス語を話せませんでした。
ほとんど勉強していなかったのですね。
すぐ帰るつもりだったし。
今から考えると、すぐ帰るつもりでも勉強すればよかったと思いますが。
主人はオークランドに留学していたこともあり、英語は堪能でした。
私もシドニーにいたこともあり、フランス語より英語でした。
なので2人での会話は必然的に英語になったのです。
息子ができてから。
私は息子に対して日本語を使っています。
息子は私に対してフランス語をメインに少し日本語。
主人と息子はフランス語で会話をしています。
主人と私は未だ英語なのです。
たまにフランス語が混じりますが。
と言うことで、、
うちの家庭内の言語は3つです。
食事時になると、内容は同じでも日本語も英語もフランス語も飛び交います。
そんなこともあって、息子の言葉はとても遅かったのです。
私と3歳手前に幼稚園に行くまでほとんどの時間を一緒に過ごしたので、フランス語の環境ではありませんでした。
あの当時、主人と息子は、会話のキャッチボールをしていなかったと思うのです。
一言二言で終わり。
主人は息子の言うことを聞くのが面倒。
ごにょごにょ話しているとイラつくから。
息子は主人からあまりフランス語を学べなかったのです。
2歳11ヶ月で幼稚園に入園した時は自分の名前をきちんと言うことすらできていませんでした。
年中さんになると、耳が聞こえないのでは。と言われ。
同じクラスの子供が、フランス語で文章を作ってペラペラと話しているのを聞くと、息子に申し訳なく思いました。
療育センターを強く勧められました。
自分に後ろめたさがあったので、藁にもすがる気持ちで出かけて来ました。
家庭内に3ヶ国語あると言うのはよくない。
負担になっているからだろう。
夫婦の会話をフランス語にするか、子供との会話を英語にするか。
幼稚園に入ってしまえば、友達と話しているうちにフランス語は上達するだろう。と鷹を括っていた私がいけないかったのでしょう。
だからと言って、日本語で話しかけるのを英語に変えると言うのはどうなのでしょう。
母国語です。
夫婦間の会話をフランス語にできればよかったのですが、、私の下手くそなフランス語を聞いて、息子がおかしな発音を覚えると困る!と主人に言われてしまって、結局このままです。
結局、この方針に疑問を感じ、長くは通いませんでした。
学校を休んで療育センターに行くより、子供たちの中でフランス語を学んだ方が彼のためになると思ったのです。
小さい時に、多国言語の環境にいると、簡単に話せるようになると言う人がいます。
違うと思うのです。
小さくても簡単ではありません。
自然に。ではないのです。
環境だけではないと思います。
本人の隠れた努力。
これの賜物だと思うのです。
実際、ここに住むハーフの子供たちも、フランス語にしても日本語にしてもレベルはそれぞれです。
日本語を全く話さない子供もいるくらい。
他人から見たら羨ましいもことも、本人からしたら負担になっているのでしょう。
息子はかなり苦労したと思います。
小さい時は、たまに義父が読み聞かせを手伝ってくれました。
私がきちんと教えられれば、どんなに良かったでしょう。
言葉の習得には、ちゃんと聞いてくれる親しい人間が側にいることが大事です。
間違えたことも怒らずにきちんと直してくれる人。
そしてその頑張りを評価してくれる人。
褒めてくれる人。
話すことが楽しいと思わせること。
そこから自信がついて来ます。
怒鳴れば、萎縮してしまいます。
話すのを止めてしまえば、上達しなくなります。
怒鳴るではなく、ただ、間違えを教えてあげればいいのです。
今でも、彼のフランス語はレベルが低いです。
亀のようです。
それが彼のペースなんだと思います。
それでも親は見守るしかないのです。
使わない限り上達しないのが言語です。
間違えてもいいからきちんと話さないといけない。
息子のトリリンガルへの道はまだまだ途中なのです。