いのちは平等です。

ニューカレドニアから、こんばんは。

 

今日はどんよりとした曇り空からパラパラと雨が降ってました。

向こうの方は晴れているのに。

ちょっと湿気も高めです。

 

 

 

今日は、キッチンのシンクの前におく、マットを新調しました。

シンプルで気に入った柄。

ドラは早速、猫なりにチェックしてました!

 

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どれどれ?悪くないんじゃない?

 

その後、息子のパスポートのための証明写真を。

昨日、機械で撮ったのが指名手配犯みたいで怖かったから、の撮り直し 。

 

お店できちんと撮ってもらったけど、そう極端には変わらなかったです(笑。

まあ素材が一緒だからね。

これは仕方ない。(汗。

 

 

 

 

 

 

 

週明けから、パラリンピックが始まりますね。

 

 

一言で「障害」と言ってしまいますが、定義は広いと思います。

線引きが難しいなと思ったりします。

 

 

生まれつきの人もいるし、事故で病気で障害を持つことになった人もいる。

でも、皆一生懸命生きてます。

 

自分で望んだわけでもないのです。

 

 

障害を隠している人もいれば、隠さずに堂々としている人もいます。

これも価値観だと思うのです。

 

 

 

私の通っていた小学校には、校庭の端に、わかたけ学級という特別支援学級がありました。

体の不自由な人、ダウン症の人、車椅子の人。

突然、叫ぶ人もいました。

でも、見た目には普通の人と変わらないような子もいました。

 

運動会にはそのわかたけ学級からも参加がありました。

 

 

 

 

障害を持った人はみな強いと思います。

人一倍、努力をしているから。

 

例えば、不得意な科目の試験があるとします。

いい点を取ろうとしたら、得意にしている人以上の勉強をしないといけませんよね。 

 

サポートをしている人もだと思いますが、本人が一番大変。

 

 

例え、今は健常者であっても、いつ障害者の立場になるかはわかりません。

その時に、前を向いて生きていくことができるのか。。

 

自分なら。

怖くて外にも出ることができないかもしれない。

 

それでも、アスリートとして活躍する。

すごいことだと思います。

  

 

 

 

私は、息子を妊娠中に、羊水検査を受けました。

血液検査の結果があまり良くなかったから。

 

もしかして、息子が障害者だったかもしれない。

一応、健常者として生まれてきたけど。。

確率の問題です。

 

 

 

命は平等です。

でも残酷です。 

 

 

5年前に起こった、相模原の障害者施設にでの殺傷事件。

「意思疎通のできない重度障害者は、不幸かつ社会に不要な存在であるため、安楽死させたら世界平和につながる。」と思って殺害を決意したという犯人。

 

 

19人死亡。

26人負傷。

残虐すぎました。

 

  

 

 

 

目が見えなくても、泳げる人。

目が見えなくても、柔道ができる人。

義足でリレーに出る人。

義足で自転車に乗る人。

 

パラリンピックは、22競技で競われます。

 

 

 

試練を与えられても、諦めずに頑張っています。

恵まれている自分が恥ずかしくなります。

 

 

 

 

いつか、自分が、身近な人が、その立場になるかもしれない。

だからこそ、パラリンピックの選手だけではなく。

障害者と健常者という線引きをすることなく。

お互いを尊重し合えるように。

 

 

子供と考えるチャンスです。

 

 

だって、同じ人間。

いのちに軽いも重いもないのですから。