自分の与えられた時代をきちんと生き抜くこと。

ニューカレドニアから、こんばんは。

 

今日は良い天気でした。

風も強く吹く時間帯もあって、崩れるかなと思いましたが、大丈夫でした。

 

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夕方の空。ちょっと微妙です。

 

日が暮れて、今は空に薄い月が見えています。

星もちらほら。

 

 

 

 

 

日本はお盆の真っ最中。

お墓参りの時期ですね。

 

近くにお墓があればいいですが、遠い人がほとんどだと思います。

お墓が遠いと、そんなに頻繁にはお参りも難しいです。

 

 

 

加えてこのコロナ渦。

そして記録的な大雨。

 

お墓参りより、自分や家族の命、安全が大事です。

 

 

 

だから。

お墓参りにいけなくて、申し訳なく思うことはないと思うのです。

お盆に限らず、行けるときに顔を見せてあげればいいと思うのです。

こんなご時世ですもの。

 

 

先祖だけでなく、友人たちのお墓参り。

お墓の掃除なども、もちろんできたらいいのですが。

 

 

空を見上げて、故人を思い出すだけでも供養になると私は思います。

故人が生きてきた証は、知り会った全ての人の心の中にあるはず。

 

 

 

 

ここでお盆にあたる日は11月1日。

諸聖人の日

カトリックの祝日の1つです。

元は聖人と殉教者を記念する日でした。

 

 

今となっては、形が変わり、亡くなった親族のためにお花を供える日です。

 

お墓に生花を供えたいのは山々ですが、この時期は気温も上がっているということもあり、基本的に造花をお供えします。

腐らないというのと、見栄えがいいということでしょうね。

 

 

 

 

  

ご先祖さまが、その時代を必死に生き抜いたからこそ、今の自分があるのです。

与えられた自分の時代を必死に生きることが供養になるのかと。

 

 

ご先祖さまに恥ずかしくないような生き方で、子孫にバトンをつなぐことができるか。

生きた証をきちんと残せるか。

 

 

お盆は、そんなことを考えるいい機会ではないかと思うのです。