母親が前向きでいてくれたら。

ニューカレドニアから、こんばんは。

 

今日はまた良い天気。

風も強いです。

ライチの木の葉っぱは、風と一緒にパラパラパラパラ。

片付けようかなと思うけど、うーん。この暑さだと庭に出るのも億劫になりますね。

 

面倒だな(笑。

 

 

 

お昼に、バーベキューをしました。

とは言っても簡単にソーセージだけ。

 

 

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フライパンで焼くより炭で焼く方が数段美味しい!

 

青空の下で、バーベキュー。

息子も手伝いが様になってきましたが、、主人がやります。

焼き奉行ですかね(笑。

 

その方が平和です(笑。

 

 

 

 

 

今日はちょっと、私の実母の話。

 

 

 

私が5歳の時、両親が離婚して母と別れました。

親権は父が取ったから。

 

そこから母の消息は知りませんでした。

 

 

 

でも私が24歳の時。

名乗りを上げてきたのです。

 

 

20年会ってなかったんです。

それを急に母親です。と言われても、、

 

ピンとこないものです。

 

少ない写真でもなんとなく顔は覚えていました。

会って、ああ、この人だった。と思ったのです。

 

でもそれ以上はないのです。

 

普通、感激するって言うじゃないですか。

20年会っていない母親に会えたのですから。

姉は電話口で涙を流したそうです。

 

 

私は、、あまりでしたね。

姉にはすでに子供がいたからかも。

 

どう接していいか分からなかったのです。

 

 

独身の時はそう感じていた私でしたが、子供ができて、話すようになりました。

距離はだんだん近くなってきたと思います。

 

自分が親になって、母は偉大だな、と思うようになったからだと思います。

 

 

 

でも、息子が大きくなってきて。

母に感謝しないとと思う気持ちと裏腹に、出てきた思いは。。。

 

 

どうして娘2人を置いて出て行ったんだろう。

出ていけたのだろう。

 

ここです。

 

父の暴力でしたから、なんで我慢できなかったの!!と責めるつもりはありません。

 

離婚しても子供を引き取れると思っていたのでしょうか。

その時母は、専業主婦。

引き取ったとしても、育てるのは大変だと言うことわかっていたと思います。

そこまでの覚悟があったのか。と言うこと。

 

 

あの当時はシングルマザーなんて本当に弱者でしたもの。

それでも離婚をしたわけですからね。

 

 

その辺を考えると、また母との距離感がわからなくなってきました。

 

 

決定的になったのは。

確か、10歳の息子の誕生日。

 

今日で10歳になったよ。と言うメールを流したんです。

そうしたら。

返事は1週間してから返ってきました。

 

 

子供が成長していくと言うことは、年寄りはさらに歳をとっていくと言うことで。

また検査を受けないといけない。

年寄りは辛い。と。

 

 

おめでとうの一言もなかったのです。

 

孫ですので、誕生日を覚えていて欲しいとまでは言いません。

離れて住んでいますものね。

 

でも、誕生日を元気に迎えられたと言っているのに、おめでとうもなく、自分のことばかり。

これって、、、

寂しく思ったのです。

 

 

母が住む、山形の明るいニュースもメールに入れたけど、そのことにも一切触れず。

 

 

 

そこから距離感がまた分からなくなり、今は微妙です。

20年と言う、長い空白は簡単に埋められないと言うことで。

 

 

 

 

子供にとって、母親は全て。

いつも笑っていることは無理かもしれないけど、前向きにいて欲しいと思うのです。

 

だからこそ、自分は息子の前では、辛いことがあっても前を向いていようと思ってます。

 

 

それが、子供の心の安定につながると信じて。